平和の願い次代に 沖縄の渡口彦信さん講演

2019/05/15 10:32

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郡山商高で太田さんの功績や平和の大切さなどを説く渡口さん
郡山商高で太田さんの功績や平和の大切さなどを説く渡口さん
渡口さんの講演を聞き、平和への思いを深める郡山商高の生徒
渡口さんの講演を聞き、平和への思いを深める郡山商高の生徒

 「偉大な先輩を誇りに思い、平和な時代を築いてほしい」。太平洋戦争末期の沖縄戦で動員された「ひめゆり学徒隊」の愛唱歌「相思樹<そうしじゅ>の歌(別れの曲<うた>)」を作詞した郡山市出身の元陸軍少尉太田博さん(一九二一<大正十>~一九四五<昭和二十>年)の陸軍時代の部下だった渡口(とぐち)彦信さん(92)=沖縄県読谷村、会社役員=は十四日、郡山市を訪れ、太田さんの母校郡山商高で講演した。渡口さんの語り掛けに、生徒は言葉の重みをかみしめ、戦争のない社会を引き継ぐ思いを深めた。


 渡口さんは沖縄戦で二十四歳で戦死した太田さんとの思い出などを語った。戦時中は、なじみ深い沖縄伝統の「与那国小唄」の曲に相思樹の歌の歌詞を乗せ、口ずさんだ。迫る恐怖を感じながら身を潜めた暗い壕(ごう)の中、幾度となく心を慰められたという。悲惨な当時の体験を思い返し、「戦争によって全てが奪われる。平和のありがたさを知ってほしい」と訴えた。

 太田さんと別れてから過ごした七十四年間を「長いようで短かった」と振り返った。八階級も離れた太田さんだったが部下を思いやる人情味あふれる指揮官だった。「偉大な先輩の母校を訪れられて感無量」と言葉を詰まらせた。

 太田さんは東京生まれで小学校時代に郡山市に移り住んだ。郡山商業学校(現郡山商高)を卒業後、郡山商業銀行(現東邦銀行)で働きながら詩を作った。日本軍の陣地構築に駆り出された少女たちとの交流をきっかけに、卒業式のために「相思樹の歌(別れの曲)」を書いたとされる。ひめゆり学徒隊の引率教員だった東風平恵位(こちんだ・けいい)さんが作曲した。沖縄のひめゆり平和祈念資料館で流され、今も歌い継がれている。

 来年秋に修学旅行で沖縄を訪れる予定の一年生二百八十人が聴講した。郡山商高でも愛唱歌が流された。生徒は太田さんがつづった詩に込められた思いを感じ取った。講演を聞いた小林走人(かける)さん(15)は「平和を思い、学校の歴史、先輩のことを積極的に学びたい」と意欲を示した。


 郡山商高は来年に創立百周年、ひめゆり平和祈念資料館は六月に開館三十周年を迎える。双方の節目を控え、今回の来県が実現した。ヒマワリ栽培などを通じて本県との交流や復興支援に取り組む沖縄県の団体「福島・沖縄絆プロジェクト」が企画した。

 二〇一〇(平成二十二)年の郡山商高創立九十周年の際に同窓会が発刊した「太田博遺稿集」は第三十五回福島民報出版文化賞正賞を受賞した。出版の際、渡口さんやひめゆり関係者が寄稿したのをきっかけに、沖縄と福島の間で相互交流が始まった。



■相思樹[そうしじゅ]の歌(別れの曲[うた])

一、目にしたし 相思樹並木

  行き帰り 去りがたけれど

  夢のごと 疾(と)き年月の

  行きにけん 後ぞ悔しき


二、学舎の 赤きいらかも

  別れなば 懐かしからん

  吾が寮に 睦みし友よ

  忘るるな 離(さか)り住むとも


三、業なりて 巣立つ喜び

  いや深き 嘆きぞこもる

  いざさらば いとしの友よ

  いつの日か 再び会わん


四、微笑みて 我ら送らん

  過ぎし日の 思い出秘めし

  澄みまさる 明るきまみよ

  健やかに さち多かれと