ぼくは小学校四年生から六年生までの三年間、自主学習に新聞を利用しました。その日の新聞の中から気になる記事を切り抜き、ノートに貼って、知らない言葉の意味を辞書で調べました。
ところが、中学校に入学すると、この自主学習をぼくは全くやらなくなりました。中学校では、自主学習ノートにプリントなどを貼るのは認められていないからです。それでどうなったかというと、ぼくは新聞を一切読まなくなってしまいました。そのために、今世の中で起こっているニュースに関心を持たなくなりました。代わりにゲームをやる時間が長くなりました。
この作文を書くにあたって、ぼくと新聞の関係を改善しなければならないと感じました。昨年姉は、高校入試の内定が決まった後、地元紙を読んで、気になる記事を切り抜き、自分の意見を書くという課題がありました。だから、日頃から新聞を読んで、自分の意見や感想を持つことがとても大切だと分かります。
ぼくは試しに一日分の新聞を読むのに、どれくらい時間がかかるのか計ってみました。三分十秒かかりました。気になる記事は大見出しと内容を読み、あとは大見出しを読んだだけです。新聞をじっくり読んだら、かなりの時間がかかると思いました。
三分十秒だけでも、新聞を読んだだけの情報が入ってくるので、毎日新聞を読み、ぼくと新聞の関係を良くしていきたいです。
■認知症の母と新聞 母 橋本由香里さん
二年前、実家の母が認知症と診断された。朝三時頃起き出して大鍋に具のない味噌汁を作ったり、お風呂のお湯を出しっぱなしにしたり…。母が家族を思ってやることが、同居する家族にとって、とても迷惑なことになっていった。
デイサービスに通うようになったのは昨年の八月から。一人で黙々と農作業をしてきた母だから、集団の中でうまくやっていけるかどうか心配だった。
その後実家に行った時、デイサービスのファイルを見せてもらった。施設名から名付けられた「きぼうの杜新聞」と「きぼう通信」の二部が利用日ごとにつづられていた。
きぼうの杜新聞は、毎日配達される新聞から一つの記事が拡大コピーされ、上部には日付や天気、名前を記入。下部には大きな文字で二問、問題が書かれており、答えを記入するようになっていた。大きな声で音読してから取り組むそうだが、母の書いた答えは思わずクスッと笑ってしまう珍回答が目立った。私は介護の現場で新聞がこのように利用されていることにとても感激した。
きぼう通信にはテーブル一面に紙面を広げ、工作や調理をしている利用者の方々の様子が写真満載で紹介されていた。新聞紙で作った帽子をかぶり、笑顔でピースサインする母の姿を見て、私の心配は吹き飛んだ。
かつて新聞は桃の箱詰めの時は緩衝材として、あんぽ柿の時は薫蒸するために新聞紙に火をつけて硫黄に点火したりと、母の農作業の傍らにあるものだった。今新聞紙は活用の形を変えて母と関わり、支えてくれていることがファイルから伝わってきた。
母が認知症になってから、とりわけ介護やシニアの新聞記事に関心が向くようになった。誰でも認知症になんてなりたくない。でも、母を通して、新聞を通して、これから私が通る道を教えていただいているような気がする。